1966年7月。
衝撃的なビートルズ初来日直後、コルトレーン御一行が日本の地に降り立ちます。
過密スケジュール中、長崎平和公園を訪れていることからも推測出来ますが、新曲「Peace On Earth(地球の平和)」を、広島と長崎に捧げるために、遠路はるばる日本を訪れたのかもしれません。
また、1963年7月に庇護者・ニカ男爵夫人と共に来日したセロニアス・モンクや、
1963年9月に来日した大親友・ソニー・ロリンズが語る「日本への好印象」も、コルトレーンが訪日にかける意気込みに、大きく左右したはず。
「コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書) : 藤岡 靖洋」などを参考にしつつ、来日時の足取りを辿ってみましょう。
今予定を眺めると、強行スケジュールどころか「狂気の沙汰」でありますな・・・。
ふつーの人間なら、途中で確実にぶっ倒れてますよ・・・これは。
コルトレーンご一行日本滞在:1966年7月08日(金)-7月25日(月)
<8都市15公演、日本のジャズメン達との共演セッション2回>
1966年7月08日(金)、羽田国際空港着~東京プリンスホテル宿泊。
1966年7月09日(土)、記者会見(東京プリンスホテル)、学生達による質疑応答、TBSインタビュー
1966年7月10日(日)、サンケイホール(東京都)
1966年7月11日(月)、サンケイホール(東京都)☆
1966年7月12日(火)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月13日(水)、広島公会堂(広島県)
1966年7月14日(木)、長崎公会堂(長崎県)
1966年7月15日(金)、長崎平和公園で合掌、福岡市民会館(福岡県)
1966年7月16日(土)、京都会館第二ホール(京都府)、松竹座(大阪府)
1966年7月17日(日)、神戸国際会館ホール(兵庫県)△
1966年7月18日(月)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月19日(火)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月20日(水)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月21日(木)、静岡市公会堂(静岡県)
1966年7月22日(金)、新宿厚生年金会館(東京都)☆、東京ビデオホール[交流ジャムセッション]
1966年7月23日(土)、愛知文化講堂(愛知県名古屋市)
1966年7月24日(日)、東京ビデオホール[交流ジャムセッション]
1966年7月25日(月)、羽田国際空港より帰国。
☆「Live In Japan」に収録されたコンサート
△プライベートテープが存在
2日に渡る日本人ジャズミュージシャンとの「交流ジャムセッション」には、ジョージ川口さん、松本英彦さんらが参加。
22日(金)は「バードランドの子守唄(Lullaby Of Birdland)」、「Softly, As In A Morning Sunrise」など4曲。
24日(日)は「Now’s The Time」、「There Will Never Be Another You」など3曲を演奏したそうな。
日野皓正さんも会場に居たようですが、セッションに参加してたかは不明。
ディスコグラフィー上では「rejected」と記載された「プライベート録音」が、
現存してたら凄い事になる訳ですが・・・さて。
さて、強行スケジュールで日本全国を駆け回ったうち、東京での公演を収録した「Live In Japan」。
「Afro Blue」、「My Favorite Things」、「Crescent」というお馴染みな曲に加え、2つ新曲の「Leo」、「Peace On Earth(地球の平和)」の、長尺演奏を聴く事が出来ます。
静(コルトレーン)と動(サンダース)の対比が、より荒々しく感じられますが、この殺人的な演奏スケジュールでは、仕方ない事かな・・・と。
ジャズ評論家・岩波洋三氏の感想によると、コルトレーンは演奏のクライマックスで、よだれを垂らしながら演奏していたそうで・・・。
岩波氏は続けて「それは、性行為のクライマックスを思わせる」とも書き記しています。
自己完全燃焼するその姿を評して、「爽やかの無くなった演奏」とも。
ディスコグラフィーを眺めると、東京での正規録音の他、7月17日(日)「神戸国際会館ホール」の演奏がプライベートテープで存在する模様。
John Coltrane – Live In Japan
Impulse!/GRP 41022
John Coltrane (ss, as, ts, per) Pharoah Sanders (as, ts, bass-cl, per) Alice Coltrane (p)
Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds) Hisato Aikura (announce)
Disc 1 & 2: July 11, 1966 at “Sankei Hall”, Tokyo, Japan.
Disc 3 & 4: July 22, 1966 at “Shinjuku Koseinenkin Kaikan”, Tokyo, Japan.
<July 11, 1966 at “Sankei Hall”, Tokyo, Japan. >
Live In Japan [Disc 1] July 11, 1966
01. Afro Blue (Mongo Santamaria) 38:48
02. Peace On Earth (John Coltrane) 26:24
Live In Japan [Disc 2] July 11, 1966
01. Crescent (John Coltrane) 54:34
<July 22, 1966 at “Shinjuku Koseinenkin Kaikan”, Tokyo, Japan. >
Live In Japan [Disc 3] July 22, 1966
01. Peace On Earth (John Coltrane) 25:06
02. Leo (John Coltrane) 44:50
Live In Japan [Disc 4] July 22, 1966
01. My Favorite Things (Richard Rodgers & Oscar Hammerstein II) 57:19
日本の7月、梅雨と真夏の境目の時期に「弾丸ツアー」を行ったコルトレーン一行。
高温多湿の過酷な環境の中、新幹線、飛行機、特急を乗り継いで移動・・・。
コンサートでは、全力で1時間半吹きっぱなしとなれば、体調崩さない方がおかしいと思われます。
実際、コルトレーンはこの来日公演以降、体調を崩してしまったという。
肝臓癌に、過労が追い討ちをかけたともいえますね。
あえて原爆が投下された2都市を廻り、新曲「Peace On Earth(地球の平和)」を演奏したコルトレーン。
「愛と平和」を希求する彼に残された時間は、過酷な日本公演が原因で短くなったようですが、悔いはないでしょうね。
今でもコルトレーンの命日である「7月17日」には、日本全国のジャズ喫茶で、コルトレーンの音楽が流れるほど、日本のジャズファン達に愛され続けておりますから。
<「Coltrane Live In Japan」録音の頃(抜粋)>
◎1964年12月9日(38歳)「A Love Supreme」1回目のセッション。
◎1965年2月18日、「The John Coltrane Quartet Plays」1回目のセッション。
▲1965年2月21日(マルコムX (Malcolm X)暗殺される)
◎1965年5月17日、「The John Coltrane Quartet Plays」2回目のセッション。
◎1965年5月26日、「Transition」1回目のセッション。
◎1965年6月10日、「Transition」2回目、「Kulu Se Mama」1回目のセッション。
◎1965年6月16日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年6月28日(38歳)、「Ascension」レコーディング。
◎1965年10月01日(39歳)「Om」レコーディング。
◎1965年10月14日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年11月23日、「Meditations」レコーディング。
◎1966年2月2日、「Cosmic Music」セッション(コルトレーン・パート)。
◎1966年6月28日、「Coltrane Live At The Village Vanguard Again!」録音。
☆1966年7月8∼25日(39歳)日本ツアー
◎1967年2月15日(没年、40歳)遺作「Expression」1回目のセッション。
◎1967年7月17日(没年、40歳)肝臓癌で昇天(死去)。
あ、有名な「私は聖者になりたい(笑)」発言について、書くの忘れてた(笑)。
新妻アリスに対し、過去の不逞を「公式謝罪」する意味合い含む発言だったそうです。
パワフルな演奏から推測出来るように、何人かの女性と深い関係があった模様。