ヨレ気味だからこそ聴きやすい遺作「John Coltrane – Expression (1967)」

肝臓癌由来の痛みをこらえつつ演奏を録音し、発売の手配を続けた「Expression」は、ヨレ気味な演奏ゆえ、過激な部分がナリを潜め、聴きやすくなったのは皮肉な話ですな。

ラヴィ・シャンカールが説く「静寂」と「安らぎ」が具現化したようなアルバムです。

John Coltrane - Expression

<突然の容態悪化、そして昇天>

1967年7月15日(土)まで、妻や親族、音楽仲間にさえ容態の悪化を覚られないまま、具合の悪い状態でコルトレーンは活動を続けていたそうです。

自宅の地下室のスタジオを作り、最新録音機材まで揃え、何故、何事もないように活動を継続するそぶりを見せていたのか・・・。

前兆として、1967年 5月に内臓の激痛により倒れていたそうですが・・・。

そして、コルトレーン生涯最後、日曜日の朝を迎えます。

1967年7月16日(日)、日曜日の朝。食事が取れないほど衰弱したため、ハンティントン病院に救急患者として入院。

そして翌日7月17日(月)午前4時、肝臓癌により昇天(死去)。

音楽仲間、そして公民権運動のシンボルとして見ていたアフリカ系アメリカ人達に、突然の喪失感と、衝撃が走ります・・・。

<遺作「Expression (impulse! A-9120)」>

今回ご紹介する「Expression」は、1967年冬から春にかけて録音された作品。
ジョン・コルトレーンのスタジオ録音・最終作(遺作)であり、「平和と愛」を探求するかの如く、スピリチュアルな演奏であります。

タイトルの「Expression」は、日本語では
「(気持ち・性格などの)表われ、しるし」という意味だそうで。

ここ最近のブログ記事で延々書いている通り、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)が残した作品群のうち、最晩年にあたる1965年から1967年の録音は、公民権運動の高まりと呼応して、激流の如く変化していきました。

モード奏法の追求から、公民権運動と連動した激情的フリー的演奏、そして、ラヴィ・シャンカールを師と仰ぎ「平和と愛」を探求するスピリチュアルな演奏へ。

さて、「Expression」の収録曲をざっと紹介致します。

1曲目「Ogunde」は、短い幻想的なバラッド。

2曲目「To Be」も幻想的で浮遊感溢れる曲。
コルトレーンのフルートと、ファラオ・サンダースのピッコロが絡んだ後、ピアノソロの後ろで、誰が叩いてるかわからない鈴やボンゴが鳴り響きます。
コルトレーンはフルートの音に声を混ぜ、フルートソロを展開してますね。

3曲目「Offering」は、ややアグレッシブな演奏。
イントロは「A Love Supreme, Pt. 1: Acknowledgement」の変形パターンか。
病魔に冒されたコルトレーンが最後の気力を振り絞り、弱弱しく、テナーを吹こうとしてる様子がありありと思い浮かべられます。

4曲目「Expression」は、自らの昇天を予感しているかのような、清々しい演奏。
延々、激烈な演奏を聴いた耳には、かなりよれよれで弱ってる感じが痛々しいですね。
コルトレーンに続くアリスとサンダースがその分、頑張ってますが・・・。

John Coltrane – Expression (1967)
impulse! A-9120

01. Ogunde (John Coltrane) 3:32
02. To Be (John Coltrane) 16:29

03. Offering (John Coltrane) 8:31
04. Expression (John Coltrane) 10:56

1, 4 –
John Coltrane (ts) Alice Coltrane (p) Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds)
March 7 & spring 1967 at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ.

2, 3 –
John Coltrane (fl,ts) Pharoah Sanders (piccolo) Alice Coltrane (p)
Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds)
February 15, 1967 at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ.

このアルバムでは、珍しくフルートを吹いてますが、これ、1964年にヨーロッパで客死した、盟友・エリック・ドルフィー(Eric Dolphy)の遺族から譲渡された遺品だそうです。

<「Expression」に至る過程(抜粋)>

◎1964年12月9日(38歳)「A Love Supreme」1回目のセッション。

◎1965年5月26日、「Transition」1回目のセッション。
◎1965年6月10日、「Transition」2回目、「Kulu Se Mama」1回目のセッション。
◎1965年6月16日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年6月28日(38歳)、「Ascension」レコーディング。
◎1965年10月01日(39歳)「Om」レコーディング。
◎1965年10月14日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年11月23日、「Meditations」レコーディング。

◎1966年7月8∼25日(39歳)日本ツアー

☆1967年2月15日(没年、40歳)遺作「Expression」録音。

◎1967年7月17日(没年、40歳)肝臓癌で昇天(死去)。

コルトレーン御一行・日本滞在記「Live In Japan(1966)」

1966年7月。

衝撃的なビートルズ初来日直後、コルトレーン御一行が日本の地に降り立ちます。
過密スケジュール中、長崎平和公園を訪れていることからも推測出来ますが、新曲「Peace On Earth(地球の平和)」を、広島と長崎に捧げるために、遠路はるばる日本を訪れたのかもしれません。

John Coltrane Live in Japan

また、1963年7月に庇護者・ニカ男爵夫人と共に来日したセロニアス・モンクや、

1963年9月に来日した大親友・ソニー・ロリンズが語る「日本への好印象」も、コルトレーンが訪日にかける意気込みに、大きく左右したはず。

「コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書) : 藤岡 靖洋」などを参考にしつつ、来日時の足取りを辿ってみましょう。

今予定を眺めると、強行スケジュールどころか「狂気の沙汰」でありますな・・・。
ふつーの人間なら、途中で確実にぶっ倒れてますよ・・・これは。

コルトレーンご一行日本滞在:1966年7月08日(金)-7月25日(月)

<8都市15公演、日本のジャズメン達との共演セッション2回>

1966年7月08日(金)、羽田国際空港着~東京プリンスホテル宿泊。
1966年7月09日(土)、記者会見(東京プリンスホテル)、学生達による質疑応答、TBSインタビュー

1966年7月10日(日)、サンケイホール(東京都)
1966年7月11日(月)、サンケイホール(東京都)☆
1966年7月12日(火)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月13日(水)、広島公会堂(広島県)
1966年7月14日(木)、長崎公会堂(長崎県)
1966年7月15日(金)、長崎平和公園で合掌、福岡市民会館(福岡県)
1966年7月16日(土)、京都会館第二ホール(京都府)、松竹座(大阪府)

1966年7月17日(日)、神戸国際会館ホール(兵庫県)△
1966年7月18日(月)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月19日(火)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月20日(水)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月21日(木)、静岡市公会堂(静岡県)
1966年7月22日(金)、新宿厚生年金会館(東京都)☆、東京ビデオホール[交流ジャムセッション]
1966年7月23日(土)、愛知文化講堂(愛知県名古屋市)

1966年7月24日(日)、東京ビデオホール[交流ジャムセッション]
1966年7月25日(月)、羽田国際空港より帰国。

☆「Live In Japan」に収録されたコンサート
△プライベートテープが存在

2日に渡る日本人ジャズミュージシャンとの「交流ジャムセッション」には、ジョージ川口さん、松本英彦さんらが参加。

22日(金)は「バードランドの子守唄(Lullaby Of Birdland)」、「Softly, As In A Morning Sunrise」など4曲。
24日(日)は「Now’s The Time」、「There Will Never Be Another You」など3曲を演奏したそうな。

日野皓正さんも会場に居たようですが、セッションに参加してたかは不明。

ディスコグラフィー上では「rejected」と記載された「プライベート録音」が、
現存してたら凄い事になる訳ですが・・・さて。

さて、強行スケジュールで日本全国を駆け回ったうち、東京での公演を収録した「Live In Japan」。

「Afro Blue」、「My Favorite Things」、「Crescent」というお馴染みな曲に加え、2つ新曲の「Leo」、「Peace On Earth(地球の平和)」の、長尺演奏を聴く事が出来ます。
静(コルトレーン)と動(サンダース)の対比が、より荒々しく感じられますが、この殺人的な演奏スケジュールでは、仕方ない事かな・・・と。

ジャズ評論家・岩波洋三氏の感想によると、コルトレーンは演奏のクライマックスで、よだれを垂らしながら演奏していたそうで・・・。

岩波氏は続けて「それは、性行為のクライマックスを思わせる」とも書き記しています。
自己完全燃焼するその姿を評して、「爽やかの無くなった演奏」とも。

ディスコグラフィーを眺めると、東京での正規録音の他、7月17日(日)「神戸国際会館ホール」の演奏がプライベートテープで存在する模様。

John Coltrane – Live In Japan
Impulse!/GRP 41022

John Coltrane (ss, as, ts, per) Pharoah Sanders (as, ts, bass-cl, per) Alice Coltrane (p)
Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds) Hisato Aikura (announce)

Disc 1 & 2: July 11, 1966 at “Sankei Hall”, Tokyo, Japan.
Disc 3 & 4: July 22, 1966 at “Shinjuku Koseinenkin Kaikan”, Tokyo, Japan.

<July 11, 1966 at “Sankei Hall”, Tokyo, Japan. >

Live In Japan [Disc 1] July 11, 1966

 01. Afro Blue (Mongo Santamaria) 38:48
 02. Peace On Earth (John Coltrane) 26:24

Live In Japan [Disc 2] July 11, 1966

 01. Crescent (John Coltrane) 54:34

<July 22, 1966 at “Shinjuku Koseinenkin Kaikan”, Tokyo, Japan. >

Live In Japan [Disc 3] July 22, 1966

 01. Peace On Earth (John Coltrane) 25:06
 02. Leo (John Coltrane) 44:50

Live In Japan [Disc 4] July 22, 1966

 01. My Favorite Things (Richard Rodgers & Oscar Hammerstein II) 57:19

日本の7月、梅雨と真夏の境目の時期に「弾丸ツアー」を行ったコルトレーン一行。

高温多湿の過酷な環境の中、新幹線、飛行機、特急を乗り継いで移動・・・。
コンサートでは、全力で1時間半吹きっぱなしとなれば、体調崩さない方がおかしいと思われます。

実際、コルトレーンはこの来日公演以降、体調を崩してしまったという。
肝臓癌に、過労が追い討ちをかけたともいえますね。

あえて原爆が投下された2都市を廻り、新曲「Peace On Earth(地球の平和)」を演奏したコルトレーン。

「愛と平和」を希求する彼に残された時間は、過酷な日本公演が原因で短くなったようですが、悔いはないでしょうね。

今でもコルトレーンの命日である「7月17日」には、日本全国のジャズ喫茶で、コルトレーンの音楽が流れるほど、日本のジャズファン達に愛され続けておりますから。

<「Coltrane Live In Japan」録音の頃(抜粋)>

◎1964年12月9日(38歳)「A Love Supreme」1回目のセッション。
◎1965年2月18日、「The John Coltrane Quartet Plays」1回目のセッション。
▲1965年2月21日(マルコムX (Malcolm X)暗殺される)

◎1965年5月17日、「The John Coltrane Quartet Plays」2回目のセッション。
◎1965年5月26日、「Transition」1回目のセッション。
◎1965年6月10日、「Transition」2回目、「Kulu Se Mama」1回目のセッション。

◎1965年6月16日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年6月28日(38歳)、「Ascension」レコーディング。
◎1965年10月01日(39歳)「Om」レコーディング。
◎1965年10月14日、「Kulu Se Mama」2回目のセッション。
◎1965年11月23日、「Meditations」レコーディング。

◎1966年2月2日、「Cosmic Music」セッション(コルトレーン・パート)。

◎1966年6月28日、「Coltrane Live At The Village Vanguard Again!」録音。

☆1966年7月8∼25日(39歳)日本ツアー

◎1967年2月15日(没年、40歳)遺作「Expression」1回目のセッション。
◎1967年7月17日(没年、40歳)肝臓癌で昇天(死去)。

あ、有名な「私は聖者になりたい(笑)」発言について、書くの忘れてた(笑)。

新妻アリスに対し、過去の不逞を「公式謝罪」する意味合い含む発言だったそうです。

パワフルな演奏から推測出来るように、何人かの女性と深い関係があった模様。