最初にお断わりしておきますが、当方、恥ずかしながらジャズで踊れるクラブなどには、行った事ありません(笑)。
とは言いつつ、興味はあるので、「Blue Note Records Compilation (Blue Break Beats & more)」のページを追加しました。
1980年代、イギリスのクラブDJ達から始まった「踊れるジャズ」のムーブメント。
この流れの重要な背景として、1960年代のハードバップ~新主流派とジャズが変遷する激動の時代、イギリスの人達は、とある規制により「当時、アメリカのジャズ・ミュージシャンの生演奏を、自国イギリスで聴く事が出来なかった」という事実があるみたいです。
一般の人が、気楽に接することが出来なかったために、1980年代に掘り起こされたブルーノート・レコードの演奏は、ダンスフロアを闊歩する若者達にとって、とても新鮮に聴こえた(今まで聴いた事ないから)という話を、読んだ事があります。
ダンスを踊る彼らは、「LPジャケットに映るファッション」まで真似たというから、半端でないですね。
蛇足ですが、イギリスからアメリカに移住したディジー・リース(Dizzy Reece)のブルーノート初録音は、ロンドンで行われたそうですが、レコードには「パリでの録音」と、事実と異なる場所が書かれていた理由は、この規制によるものだそうで。
話を戻します。
「踊れるジャズ」のムーブメントに乗り、日本のお堅いジャズファンから軽視されていたジャズ・ファンクや、ソウル・ジャズ系の音源だけを集めた「Blue Break Beats」四部作、「ブルーシリーズ(Blue Series)」などが発売されました。
1980年代にイギリスで起こった「踊れるジャズ」を発掘する動きは、ロンドン・クラブジャズの人気DJ・ポール・ブラッドショウ(Paul Bradshaw)らを中心とし、1988年に創刊された雑誌「Straight No Chaser Magazine」を媒体として世界中に広まっていきました。
「踊れるジャズ」の音源は、便宜的に「アシッド・ジャズ(acid jazz)」と呼ばれている模様(定義と線引きはよく判ってません)。
「Blue Break Beats」四部作は、「アシッド・ジャズ(Acid Jazz)」レーベル創設メンバーのディーン・ラドランド(Dean Rudland)とエディ・ピラー(Eddie Pillar)が選曲しているとのこと。
また、「ブルーシリーズ(Blue Series)」と呼ばれるコンピレーション・アルバムの重要三部作、「ブルー・ボッサ(Blue Bossa)」、「ブルー・バップ(Blue Bop)」、「バプティスト・ビート(Baptist Beat)」を手掛けたのは、DJ・ジャイルス・ピーターソン(Gilles Peterson)で、「アシッド・ジャズ(Acid Jazz)」、「トーキン・ラウド(Talkin’ Loud)」など、次々にレーベルを設立し、世界的に人気があるようですね。
なお一連のコンピレーションCD・LPの、収録曲等に関する情報は、容易に把握しきれないので、確認出来次第、順次補足していきます。